プロフィール

片岡:1991年産の大阪のオリジナルTシャツ屋さん

Tシャツはキャンバス。

オリジナルTシャツの制作を仕事にするまでのお話をする。

話は俺が小学生の頃まで遡る。

6人兄弟の4男坊の俺はいつもお兄ちゃんの着せ替え人形やった。

あの頃は、キングギドラやKICK THE CAN CREWなどが流行っていた。

それに合わせて、俺が着せされる服もオーバーサイズのTシャツがメインやった。

気が付けば、そんなラフでワルなスタイルのヒップホップってやつの虜になってた。

中学に上がった俺は、子どもながらPCで調べ倒して、自分でラップを作るようになった。手に入るお金は全てと言っていい程CDにつぎ込んだ。リリックを写経したり、ネットで知り合ったラッパーと曲を作ったりもしてた。

初ステージは先輩の紹介でアメ村にあるレコード屋。15歳が深夜2時にライブなんて今じゃ考えられない。

我ながら行動力の凄い中坊やったなと感心する。

高校、大学と進むにつれて音楽仲間が増えた。そのおかげで、高校も大学も留年するほど学業では落ちこぼれてた。

高校では、MHIというヒップホップクルーを作った。一つの学校で、10人以上ものヒップホッパーが集結。ほとんどは、誘い込んでラップ始めた野郎やけど。

イベントを主催して計500名以上集客したり、文化祭で会場に入りきらないほどの人を集め大賑わいなステージを作り上げたりと精力的に活動していた。

大学に入り活動の幅が広まり地方でライブに呼ばれたり、ビートメイク(ヒップホップの作曲)で小銭も稼げるようになった。

このまま音楽で飯を食う。そう本気で思っていた矢先、思わぬ転機が訪れた。

急性難聴と診断された。

21歳、夜な夜なクラブに出かけていた俺に40度近い高熱が襲ってきた。熱自体は2,3日で収まったが耳に詰まる違和感が残った。

1週間たっても聞こえが悪い。特に右耳の低音域が聞こえないもんで、ビートメイクができない。

仕方なく耳鼻科に向かうと、「急性難聴」と言われた。治療のために音楽活動の休止、規則正しい生活を強いられた。

後に、メニエール病と診断され、その夏は目まいや吐き気にうなされた。今でも、体調の悪い時は耳鳴りや目まいなど発作が出る時がある。

表現の場を失った俺は、毎日が急に楽しくなくなった。友達といてても、YouTubeを見てても、家族や彼女と過ごしても心ここにあらず状態。

しかし、このままじゃよくないと思い立ち、趣味ってやつを探し始めた。

自転車や絵に挑戦したが、楽しくない訳じゃないが夢中になられへん。面白いものなんて見つかれへん。音楽が一番やったんや、そう思い憂鬱な期間はだらだらと続いた。

Tシャツとの出会い

そんな時、友人からTシャツを作られへんかと尋ねられた。

なぜ、そんな事を俺に尋ねたのかと言うと、地元で母方の亡祖父が制服やユニフォームを扱ってる会社を営んでいたから。

同じ服というカテゴリーという訳で俺のところに話が飛んできた。

「大丈夫やで!」とりあえずそう答えてから、Tシャツについて勉強した。亡祖父の会社はTシャツなんて作っていない。自分でやったろうと思った。

個人で動いても仕方がないもんで、祖父の会社を通して仕入れ先を探した。直ぐに、Tシャツの流通の概要は理解できた。

次に、プリント方法。これは本を読んだり、YouTubeを見て勉強した。しかし、実践しても思うようにはいかない。

そうなれば外注先を探そう。そう思い、工場をいくつか周り信用できる工場と提携する事ができた。

1ヵ月程かかったけど条件が揃い、友人に声をかけた。「前言ってたTシャツどうする?」あたかも普通にできる様に装った。

話を聞くと友人は「個人でブランドを作りたい、そのアイテムの走りとしてTシャツを作りたい」という話をしてくれた。

今でも思い出すほどワクワクした。

そして、ブランドの立ち上げからアイテムの制作まで付きっ切りでサポートした。初回プレスの50枚は手売り限定2日で完売。

「ほんまにありがとう」この時のありがとうが人生で一番嬉しかったかもせえへんな。

Tシャツが仕事に。

それから、Tシャツを作る事にハマり、飲みに行くついでにTシャツ作れへん?なんてマスターに声かけては注文を貰っていた。

大学を卒業し、祖父の会社に入社した。

そして、オリジナルTシャツを1つの事業として確立させた。同時に、Tシャツプリントの内製化も進め、職人としてもキャリアをスタートさせた。

入社してからのお客さんは全て紹介からで、大大とした営業はなし。それでも2シーズン目には月商100万円を達成。

自己実現のパートナー。

今思えば、Tシャツってのはヒップホップに似てる。

ラップで自己表現し、ビートメイクで他人の表現をサポートしてた。

それが、Tシャツで表現し、Tシャツプリントで他人の表現をサポートするという形になった。

ただ、それだけ。

本質を辿れば、「表現」ってところに熱意を注げる性分なんかもせえへん。

オリジナルTシャツなんて、ネット叩けば安いところはいくらでも出てくる。納期が早いところも出てくる。

それでも、「かったんがいてるから」と言って俺に注文してくれるお客さんが大勢いてる。

本当に嬉しい限り。俺はそういうお客さんのために全力でTシャツを作ってきたし、これからもそうする。

「ただ、デザイン渡されてプリントして渡して終わり。」

そんな仕事はしたくない。

Tシャツを作る、その先も目的達成させるのが俺の使命やと思いやってる。

店舗、飲食店の場合は、集客や口コミ発生。チームやコミュニティーなら団結力の向上。イベントやギフトなら最高の思い出。ブランド起業なら売上やワクワク。

そういった、Tシャツの先にある理想に近づけるようにサポートしてる。

自己実現のパートナーとしてTシャツというツールを使っている、そういったイメージ。

一言でTシャツといっても、俺はこれだけの想いで仕事をしてる。

Tシャツのプロとして、この先もこのスタンスは崩さないと誓う。

あとがき

Tシャツをつくる事なんてない。

そう思う人も少なくない。しかし、オリジナルTシャツは人生のあらゆる場面で活躍する。

店舗や企業をしているならユニフォームになる。チームやコミュニティでもよく使われる。プレゼントやイベントにも活躍する。

個人の人が自分用に作る事もある。服は選ぶから、作るに変わっていくのかもしれない。

また、個人ブランドを立ち上げる時もTシャツが初めのアイテムとして選ばれることが多い。

1日だけでいい、オリジナルTシャツ意識して生活してみてください。きっと、どこかでオリジナルTシャツに出会うことでしょう。

それだけ、生活の近くにいつもあるアイテムです。

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